地震。

おはようございます。

日本は一昨日未曾有の大地震に見舞われ2日がたった現在でも状況が把握出来ていない部分も多いという状態です。

Twitter でも何度か言いましたが、今回の地震で私は帰宅難民になりました。

地震当日、私は学校の卒業遠足で日帰りスキーに行っていました。 スキーの全行程を終え大型バスで学校に向かっている中、地震にあいました。 震度5強でした。

幸い高速道路入り口で別件(と思われます)で停車している中ででした。 バスが大きく揺れ何事かと思い表を見ればすごい勢いで電線や電柱その他が揺れたりたわんだりしていました。 揺れが収まると先生方・バスの運転手さんがバスを降りて集まり情報収集その他に当たっていました。 首都高が地震通行止めとの情報が入りましたが子細がよくわからなく、止められるかもしれないがそれでも行けるところまで、ということで首都高に乗りました。 そしてしばらく走行していると案の定パトカーの先導(伝聞)で談合坂 SA へ。

談合坂 SA についた我々は無期限待機。 先生方・バスの運転手が情報収集に当たるも一向に先が見えない。 また大地震であるとのことで保護者への連絡回しをする、などでてんてこ舞い。

その間私はとなりの団体のバス内で点いていたテレビを発見、それに見入り惨状を次第に知り始めました。 千葉県市原市での大火事が印象的でした。 その行動に気づいた回りの人たちも追随し、皆が言葉を失っているようでした。 特に被災地に親族がいる人や自宅に病弱の母が1人でいる人などは、大きなショックを受けているようでした。 中には泣き出す子やストレスが原因と思われる体調不良を起こすものなどもいました。 まるでドラマの一場面を見ているよう、これは悪い夢なのではないか、と思いたくなるほどでした。

私は先生にバスのテレビを点けられないか、と打診しテレビを点けていただきました。 中には現状を知りたくない、と反対するものもいました。 音声も入ってくることでさらに緊迫した空気でバス内は満たされていきました。

時間をみれば20時を回り私が当初予想していた通り、日付が変わる前の帰宅は絶望的な状況に。 バスで一夜を明かすことが決定し、副校長先生の尽力により SA 内のお店のほうとうが、さらに先生方が駆けまわり用意された 500ml の飲料と1人1つのパンが配られました。

21:10に3台のバスを2:1に男女で分け、21:30消灯。 しかし、みな寝れない夜を送っているようでした。 幸いに1人席を確保していた私は比較的楽な体勢で体を休められました。

日付が変わり2:00になると首都高の通行止めが部分的に解除されバスは出発。 中央道→圏央道→関越道のルートで東京へ。 すでに4:00を超えていました。 そのまま一般道で学校へむかい、5:00に到着。 校門の前には十数名の保護者が待機していました。 学校には多くの先生方がまだいらっしゃいまして、私たちの到着を迎え入れ、労ってくれました。

すぐさま集会が行われ、体調の悪い人は保健室を暖めておいたからしばらくそこで休んでいけ、そうでない人は各自下校してくれ、とのことでした。 私は帰路が同じ友人1名とともに歩いて家路につきました。 すでに空は白み始めていました。

聞くところによると東京は震度5強の強い揺れに見舞われた上、洪水警報が発令されたとのこと。 また、私が通う中学校は避難所になり30余名の方が避難してきたそうです。

我が家につき、明かりが漏れていたのでインターホンを押すと父がドアを開けました。 私は2階の自室に急ぎ、状況を確認すると本棚の上に置かれていた重量のある百科事典や、ポケットファイル、野球チームのヘルメットはすべて床に落ちていました。 また棚の上に置かれていたプリンターなどはずれ、棚の中はぐちゃぐちゃ。 40kg ある電子ピアノや 60kg を超えるであろう荷物を積んだ棚は 15cm ほど移動していました。 また停電の跡もあり、 PC の電源が落ちていました。

聞けばリビングの写真立ては落ちてガラスが割れ、ブラウン管テレビは滑り落ちそうになっていたそうです。

今回は非常に恐ろしい経験をしました。 日本における観測史上最大の地震、そして 10m を超える津波…。 本当に、悪い夢を見ているかのような、あるいはドラマの一場面であるかのような印象です。

このような大惨事が現実に起きてしまった以上仕方ありません。 前を向いて、次は何をするべきか、自分には何が出来るのかを考えて一刻も早い復興を目指してアクションを起こすべきだと考えています。

今回の地震で日本への支援やお見舞いを表明した50を超える国の方々、地震後の私たちの生活復興のために夜を徹した作業をしている技術者のみなさん、本当にありがとうございます。 そしてお疲れ様です。

最後に、地震でお亡くなりになられた方のご冥福と、被災しながらも強く生き残った方のこれからのご多幸をお祈りいたします。